

新思潮 No.139 2016年7月号より①
| 青むまで己を放下して幻花 | 杉山 夕祈 |
| 顔色が蒼ざめるまで自分自身を徹底的に突き放し、一切の執着心を捨て去らんとするの だ。そうしなければ、人の目を惑わす幻花とは対峙できないのだ。自らを律する哲学的思 考を基盤に、心の中に浮かんだ像を、審美的に表出した作品である。〈人恋いのはじめは 凪の一行詩〉の句も、メタファーの利いた情動の美しさがあって佳かった。晩学の志熱く 、通信大学で文学や哲学を学ぶ夕祈さんである。川柳作家としての懐は深くなるばかりだ 。〈細川不凍〉 | |
| 身じろぎもせずに老人 銛を持つ | 古谷 恭一 |
| 若者よ。道端に腰かけて山々や草木や雲をじっと眺めている老人を暇そうだなあ、なん て思わないで欲しい。若いうちには見えなかったものがようやく美しく感動的に見えてき てわくわくしているのだから。ましてじっとしているから邪魔だと思ったり、寝転んでい るのをひょいとまたいで行ったりしたらとんでもないことになるだろう。心若き老人はい つだって銛をかまえているのだから。〈古俣麻子〉 | |
| 華やかな哀しい姉妹でした 風 | 伊藤 寿子 |
| 或る姉妹の人生を書いた。華やかで哀しい人生だったといい、残るものは風ばかりとい う儚さである。〝でした〟と過去形で書いたところに、過ぎ去った〝時〟へのオマージュ が感じられる。風はもはや過ぎ去ったものを秘めた風であり、その風がきらめいて、姉妹 がよみがえるのだろう。〈岡田俊介〉 | |
| すずらんの母隅に咲く参観日 | 伊藤 寿子 |
| 〝すずらんの母〟という形容がいい作品。参観日に来た母がすずらんのような存在感を放 っているのだ。すずらんは北海道の代表的な花のひとつである。白く小さい花が一列に並 ぶ〝すずらん〟から、凜とし、楚々とした母が想像される。 〈岡田俊介〉 | |
| 五分咲きの校庭遠音(とおね)おぼろげに | 月野しずく |
| 桜五分咲きの頃といえば春休みで、児童生徒のいない静かな校庭が目に浮かぶ。そこに 描く在りし日の大勢の友だちとの歓声を懐かしんでいるのだろう。「おぼろげ」なのは思 い出だけではなく書かれていない「桜」も見せてくれた。 〈古俣麻子〉 | |
| 墨を磨る貴方へいいえわたくしへ | 野邊富優葉 |
| 今でも筆で書かれた手紙をときどきいただく。このごろ筆を持つこともない私は、襟を正 して拝読する。やや改まった気持ちで書かれたのだろうか、と思いながら。この句も、改 まった気持ちで書く手紙を想像させる。貴方に対する決定的な内容の手紙かも知れないが 、これは私宛に書くべきかと自問しながら、筆で書く前段階の墨を磨っているのだ。この 気持ちの揺らぎを新鮮な文体で表現した。〈岡田俊介〉 | |
| 花の午後ゆびの先から眠くなる | 西田 雅子 |
| ようやく訪れた春の窓辺の陽射しの中で、ゆったりとした椅子に腰かけたたおやかな女 性を想像させる。「ゆびの先から眠くなる」は書けそうで書けない表現で、本を読んでい たり編み物をしていたりしていた時の感覚を共感しながら思い出す〈古俣麻子〉 | |
| もうひとりわたしが生まれそう 五月 | 古俣麻子 |
| てのひらは咲くものなりしさくら咲く | 酒谷愛郷 |
| 鳥ノ木に鳥の影なし夜泣き月 | 岩崎眞里子 |
| 沙羅の白 過去へ過去へと誘いぬ | 山辺和子 |
| 不確かさだけが確かなこの部屋で | 寺田 靖 |
| 川澄んで蛍生まれる匂いして | 松村華菜 |
| 朧月ほしいままなる童唄 | 松田ていこ |
| 草の実が楽譜となってほろほろと | 前川和朗 |
| 何度聞き返しても見つからぬ白 | 潮田 夕 |
| むすんだりひらいたりするいのちかな | 中嶋ひろむ |
2016.7.16
























